厳島神社
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~松崎町役場HPより抜粋~
『厳島神社』
所在:松崎町江奈742
祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
由緒
松崎海岸(海水浴場)の北側に突出した高さ30メートル余の巨鯛島に祀られている。
社名の厳島は祭神「いちきしま」のなまったものといわれる。
祭神はまた、弁財天に擬せられている、弁財天はもともとは河川を神格化したもので、
吉祥天と共にインドで最も尊崇された女神である。
七福神の一神として福徳賦与の神として信仰されている。
当社も「弁天さん」として親しく尊崇されている。
創建は定かではないが、豆州志稿では大永5年(1525年)の札ありとしている。
所蔵の板札に大永甲申4年(1524年)5月11日付で、仏諸小太郎が、
那賀の西方寺の阿弥陀を修理した、と記されたものがある。
これが南豆風土誌の大永5年再建設と関係あるかも知れない。
また増訂豆州志稿の船寄神社の記載に、
「初宇古代島(巨鯛島のこと)ヨリ此地ニ遷座ストイウ」とある。
これによると船寄神社の跡に当社を祀ったものであろう。
棟札は13枚あり、多くは10年にみたない期間に次の棟札があがっている。
これは氏子の信仰の深さを示しているものであろう。
松崎町一帯は古くより相撲が盛んであり、
当社でも弁天相撲と称して奉納相撲が盛大に行われていた。
社殿内に天正14年(1586年)浜勇栄治が大関に叶うという
奉納額や弓取りの弓があげられている。
奉納相撲は戦後しばらくまで行われていた。
平成4年(1992年)4月3日に60年ごとの開扉が行なわれた。
巨鯛島のウバメガシ群落は町指定の天然記念物である。
参道の傍らに、銭洲漁場の発見者稲葉半七の顕彰碑がある。
巨鯛島は陸続きの島で、かつての南川は鳥居の前を流されていたので、
朱塗りの太鼓橋を渡って参拝していた。
昭和40年(1965年)頃島の鞍部を掘削して南川を外部へ流したので、
今は太鼓橋もなく往時の風情はない。